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抗えないものから生まれる“人生の不公平”──『雨にゆれる女』半野喜弘監督インタビュー

雨にゆれる女

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パリを拠点に、映画音楽からエレクトロミュージックまで幅広く世界で活躍し、ホウ・シャオシェン監督、ジャ・ジャンクー監督など世界の名匠たちを魅了してきた音楽家・半野喜弘の監督デビュー作『雨にゆれる女』。14年前のパリで、まだ俳優になる前の青木崇高と半野喜弘が出会い「いつか一緒に作品を作ろう」と誓い合ったことから生まれた本作は、過去を封じ名前を偽って生きる男と、彼の前に現れた謎の女のサスペンスフルな恋愛ストーリー。映画の公開にあわせ、半野喜弘監督にインタビュー。本作のテーマと初監督に挑んだ心境を伺いました。
抗えないものから生まれる“人生の不公平”──『雨にゆれる女』半野喜弘監督インタビュー
──これまでアジアの名称たちの映画音楽を手掛けてこられましたが、今回の初監督作で、監督・脚本・編集・音楽まで担当されました。これはもともと考えていた道のりなのですか?
監督:そういうわけじゃないです。僕が映画音楽の道に入ったのも偶然のようなもので、10代の頃からクラブミュージックをやっていて、映画音楽の教育を受けたこともなければ、自分が映画音楽をやるって想像すらしてなかったです。でも、若かったこともあって、自分にはすごく才能があって、「俺、天才なんじゃないか」って思ってたくらい(笑)。あることから映画音楽の世界に入って、そこでホウ・シャオシェンやジャ・ジャンクーといった、これまで接したことのないような、本物の天才と思えるような人と出会って、世界ってデカイなって思いました。彼らのような天才がいるのに、自分で映画を作るなんて…って思ってはいたんですけど、40歳過ぎたあたりから、自分の残りの人生を考えるようになって、やっぱりやりたいことをやってみようと考えるようになりました。計画を立ててというよりは、誰にも頼まれてないのに、脚本を書き始めてみたんです。5年ぐらい前ですね。
──突然脚本を書き始めた…というのは、何かそのときに心動かされた作品があったとか?
監督:いいえ。俳優の西島秀俊君と十数年来の友人で、よく家に来て酒を飲んでいたんですけど、ある時、酔っ払った弾みで「一緒に映画を作ろう!」って盛り上がって、2人で脚本書いて監督して主演してっていう訳の分からないことになったんです(笑)。でも、いざ脚本を書き始めたら、ああでもないこうでもないと、当然ケンカになるじゃないですか(笑)。それで西島君は役者に専念して、僕は引くに引けずに監督・脚本をやるって…。この作品ではないんですけど、それでなんとなく自分が監督・脚本をやるんだって話になったと思います。
──では西島秀俊さんと温めている企画もあるんですね。
監督:2つぐらい考えてますね。なかなか実現しないですけど。
──今回の主演の青木さんとも十数年来の友人なんですよね。以前、青木さんを取材させていただいて、他の作品を通して見る印象そのまま、「熱くて真っ直ぐな方」という印象を受けました。この作品では全く違う、影のある男を演じましたね。
『雨にゆれる女』 『雨にゆれる女』 『雨にゆれる女』 『雨にゆれる女』
監督:今回は、脚本を書いて、この役を青木に…というのではなくて、プロデューサーから「これくらいのバジェットで映画をやってみませんか?」って話があったときに、僕からひとつだけ条件として「主演を青木崇高にしたい」と言ったんです。そのあと、何もない状態から、自分の頭の中の映像に青木がいて、彼がどんな風だったら面白いか、誰も見たことのない青木崇高であるべきだと考えて脚本を書いていきました。

彼は大坂出身なので、標準語を話している青木崇高っていうのも、ある種、本来の青木崇高から一枚何かを被っている青木崇高なわけで、それを一枚剥がすのも良いんじゃないかと思いました。別人として人を偽って生きてきた男が、一瞬ポロッと本人になってしまう。そういったざっくりとしたストーリーを作って、青木と脚本段階からかなり話し合っていきました。
──共演の大野いとさんも、儚く厭世観のある意外な役柄でした。
監督:理美の役を誰にするか、企画が進行している段階でも全然イメージが浮かばなかったんです。ある時プロデューサーが写真を何枚か持ってきて、その中で直感で選んだのが大野でした。青木と同じように、「皆がイメージする大野いと」じゃないものが出せるんじゃないかって興味がわきました。
──大野さんは重みのある台詞も多くて、精神的にもダメージがありそうですが、撮影中はいかがでしたか?
監督:大変でしたね。自分が思ったように演じられないというジレンマを抱えて、毎日泣いたりヘコんだりしていましたが、目に見えて成長していく姿があったので、本当に彼女で良かったと思いました。
──ラストシーンもすごく印象的でした。海辺の撮影は大変だったのでは?
監督:本当に辛いシーンでしたね。本人も半ば死にそうになっていました。あのシーンは脚本の段階で、「台風が来ていて海が荒れていて、ものすごい風で二人の髪がグワーッってなびいている」って書いていて(笑)。プロデューサーから「無理です」って言われてたんですけど、「大丈夫、台風来るから」って言ってたら、本当に撮影の時に台風が来たんです(笑)。
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──タイトルにもある「雨」も印象的です。「雨」にはどんな意味を込めたのですか。
監督:電車やバスに乗るとか、誰かに会うとか、毎日を生きていく中でいろんなことをするわけですが、どうしても僕たちの意思では回避できないことが日常的にたくさんあって、その象徴が「雨」だと思うんです。人って生まれる環境を自分で選べないわけで、今回の主人公は、彼の生まれた環境という自分ではどうすることも出来ないものによって人生の往き道が左右されているんです。
──劇中で「生きるって不公平だ」という台詞もありますね。本作のテーマでもあります。
監督:僕は大坂の岸和田出身で、僕自身は普通の家庭だったんですが、母親が幼稚園教諭として貧しい地区を担当していたんです。育児放棄された子どもを誘拐まがいに家に連れて来ることもありました。劇中で、「ゴミ箱から缶ジュースを拾って飲む」というエピソードを話しますが、あれは実際のエピソードです。真冬の公園で、夏服を着た5歳ぐらいの兄妹が、捨てられた缶ジュースを拾って、その残りを飲んでいたんです。一方で僕は何不自由なく食べ物も与えられ、欲しいおもちゃも買ってもらえているのに。でもその状況って彼らのせいではないですよね。その後どう生きていくかの選択は出来るけど、少なくとも5歳の子どもがゴミ箱から缶ジュースを拾って飲まないといけないのは、彼らのせいではない。僕の中でそれがすごく印象的で、不公平だなっていうのはこの頃から思っていました。
──主人公の健次が働いている場末の工場や、登場人物のファッション、小道具など、色彩的にもとてもこだわりが感じられました。
監督:健次のように“過去を隠して生きる男”って、一般的には四畳半の部屋で作業着を着てカップ麺を食ってるのがリアルなイメージだと思うんですけど、映画の画として面白くないですよね。あまりリアル過ぎると、エンターテイメントとして“嘘をつく”意味がないと思うんです。衣装にしても小道具にしても、映画として、見ている側が少し憧れを感じられるような、ある種の夢を膨らませるための道具としても使いたいんです。色彩配置にもこだわりましたね。ソファーがこの色で、後ろは錆びた鉄、グリーンのライトがあるから、ここはブルー、しかも光沢のある素材じゃないと成立しない…とか。俳優の着る服は美術の一部であって、色彩配置の“動くパーツ”として捉えました。最後のホテルも、あんな真っ赤なホテルないですけど、重要なセリフのシーンは、真っ赤なライトの中に立たないとダメだっていう感じで決めました。リアリズムに落とし込むことより、画面の色彩を豊かにすることにこだわりました。
──音楽について、普段は映画音楽の分野で活躍されていて、今回の初監督作品では音楽を多用しているのかな…と思いましたが、かなり抑えている印象でした。
監督:僕自身は、ほとんど音楽のない映画が好きなんですよ。映画音楽って映画の一部であって、必要な所に必要な分だけあればいい。ライティングや演技と同じですよね。映画音楽を依頼されて、監督と話し合う時は、必要ないんじゃないかとか、10曲のところ4曲でいいんじゃないかとか、話すんです。ギャラもらってるので難しい所なんですけど(笑)。今回の映画では、音楽はあまり流れてないんですが、音楽と呼べるかどうかギリギリの音を全編に渡って流しています。ブーンブーンという低周波の機械音のような音とか。健次の孤独感を際立たせる音なんですが、それがふと切れた瞬間に、物語も変化する。映画音楽というよりも、こういった心理操作的な音は色々使いました。
──映画音楽にしても映画を一本撮るにしても、イマジネーションを働かせて作品を仕上げる意味では共通していると思いますが、やはり全く違うものでしたか?
監督:映画監督って、音楽の世界で言うと「指揮者」に近い感じですね。バイオリンの音に対して、クラリネットはもうすこしピアニッシモにしようとか、各セクションのバランスをとる。脚本を書くことに関して言うと、より普通の作曲作業に近いと思いました。映画音楽はある程度の目に見えないゴールがあって、それを掴んでいく作業なんですが、普通の作曲や映画の脚本って、何もない、あるいはぼんやりした世界があって、そこに道をつけていく。色々近いものはありますね。
──とはいえ映画は、天気やスケジュール、予算など、まさにどうにもならない状況もあると思いますが、撮影中にハードだなと感じたことは?
監督:実は撮影自体はハードなこともなくて、こんなに辛い内容の映画なのに、楽しすぎたくらいで(笑)。ウキウキってわけじゃないんですけど、毎日ひとつひとつ出来上がっていくのが楽しかったです。
──映画では、全スタッフ・キャストが、監督の指示に集中して頼るわけですよね。そういったところに重圧を感じることはありましたか?
監督:いや、それが(笑)。普段、海外のオーケストラで欧米人60人ぐらいを相手にしていると、日本の30〜40人のスタッフって「なんてあたたかいんだ!」って思いました(笑)。欧米人相手だと、わざと間違えて僕が気付くか試したり、何故こんなに意地悪なこと言うんだろう?って思うこともあって、毎日が戦いなんですね。それに比べたら日本では、僕が言ったことを一生懸命やってくれるし、抽象的なことを言っても理解してくれます。欧米人は「何を言っているのかわからない。このメロディが何故このメロディなのか、君の哲学を教えてくれ」とか…、英語で説明できるわけがない(笑)。差別というと大げさだけど、やはり海外ではちょっと距離感があって、その中で仕事をしてきたので、同じ人種で同じ言語でものづくりをするのは、やりやすかったです。なんの苦労もなかったと言えば嘘になりますが、一緒に仕事が出来たのはありがたいことでした。
──最後に、映画を楽しみにしている方にメッセージをお願いします。
監督:映画を観る楽しみって色々あると思うんですけど、観終わったあと「つまらなかった」と30分語れるならそれはそれで良いと思うんです。この映画はいわゆる優等生な映画ではないんですが、台詞ひとつでもワンシーンでも衣装でも音楽でも、何かしら記憶に残るものになったと自負しているので、観てくださった方が、何かひとつ小さなものでも持ち帰ってもらえたら嬉しいと思います。あと、ハードボイルドな印象なんですけど、是非女性にも観て欲しいですね。

2016年11月22日
『雨にゆれる女』
2016年11月19日(土)より、テアトル新宿にてレイトロードショー
公式サイト:http://bitters.co.jp/ameyure/