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原作者が語る「若者がもつ力、強さ、美しさ」に胸打たれた ── 『僕たちは希望という名の列車に乗った』ラース・クラウメ監督インタビュー

僕たちは希望という名の列車に乗った

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歴史の暗部に切り込んだ衝撃作『アイヒマンを追え!ナチスがもっとも畏れた男』のラース・クラウメ監督最新作『僕たちは希望という名の列車に乗った』が、5月17日(金)より公開。1956年、東西冷戦下の東ドイツ、高校生たちが行ったわずか2分間の黙祷が国家機関の目に留まり、政治的な弾圧へと発展していった驚愕の実話を映画化。無意識のうちに政治的タブーを犯してしまった若者たちが、仲間との友情や恋を育みながら、あるときはまっすぐに主張をぶつけ合い、人間として正しきこととは何かをひたむきに模索していく姿を描く。映画の公開を前に、ラース・クラウメ監督にお話しを伺いました。
原作者が語る「若者がもつ力、強さ、美しさ」に胸打たれた ── 『僕たちは希望という名の列車に乗った』ラース・クラウメ監督インタビュー
──前作の『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』も、ベルリンの壁建設前の50年代ドイツを舞台にしていました。監督の中ではどう関連して同年代の作品が続いたのですか?
監督:僕にとって2作品は密接に関係している。ナチス政権下にあったそれぞれの国をどう再建していくのか、あるいは戦争というカタストロフィを経験した後、社会をどう再構築していったのかを掘り下げることのできるテーマで、50年代のドイツの歴史を描くいい機会だった。

それに、どちらも言論の自由に関する作品になっている。『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』では、フリッツ・バウアーは自国に起きたことを自由に語れると思ったら、ナチス時代の名残があり、罪は隠されオープンに話せないと気付かされる。この映画も、若者たちがハンガリーで起きていることを自由に話せないのだと気付く。50年代は西でも東でも、自由が欠落していた部分はある種似ていたんじゃないかと思う。当時の西ドイツをはじめ他の資本主義国は「こちら側には言論の自由がある」と言いたがるが、アメリカだって50年代当時はマッカーシズムの時代で、共産主義者であれば投獄されたり人生を滅ぼされたこともあったわけだから。

この2作品は同じ時代のものだし、僕にとっては対のような作品。DVDもセットになれば嬉しいかな。ただ、同時代が連続したので、しばらくドイツ50年代は遠慮したいな(笑)。
──完結したのですか?「50年代ドイツ三部作」にはならないですか?
監督:西ドイツ・東ドイツをやったからね(笑)。あるとすれば、オーストリア編なら出来るかもね(笑)。
『僕たちは希望という名の列車に乗った』『僕たちは希望という名の列車に乗った』『僕たちは希望という名の列車に乗った』『僕たちは希望という名の列車に乗った』
──劇中では、ソ連影響下の東ドイツの日常が描かれていましたが、学校に通い、レストランで食事し、家族で食卓を囲むという、普通の生活が新鮮に感じました。
監督:当時の東ドイツが暗い状況だったというイメージを持っている人もいるようなので、こういう雰囲気を見せることは重要だった。特に、東西に分かれてしまった当初は、西も東も、自国を立て直し、国民に食と仕事を提供し、早く日常に戻ろうと必死だった。それがいかにポジティブな日常であったかを描きたかったんだ。ただ、不都合な問いは、口に出してはならないという面もある。その対比のためにも、日常を描くことが重要だったんだ。
──クルトの母親が、息子に逃げるよう進言するシーンも印象的でした。愛しているからこそ別れを告げ、そしてそれが正しいと確信している強さを感じました。これは監督が思い当たる母親像なのですか?
監督:僕自身の祖母は、15歳で祖父と出会い、17歳で結婚して子供が出来た。祖父は戦争へ行き、祖母は10年もの間、子供を一人で育てた。当然、そういう経験をした母親はタフになるよね。男は戦争から戻り、“大黒柱にならねば”とリーダーのように振る舞うものだが、肝心の時には女が決める。僕が子供心に、親や祖父母を見ていて感じていたことから想起したんだ。

当時の東ドイツの母親たちは、直前までナチス政権下にあり、そこでは女性には権利が与えられていなかった。社会主義に変わり男女平等の思想が進められ、劇中の母親たちも仕事を持っているが、育った環境下での考え方はまだ残っているので、夫に対して強く反対意見を述べることはしない。しかし、肝心なところでは立ち上がるんだ。
──原作者のディートリッヒ・ガルスカさんとも実際にお会いしたのですよね。どんな印象を持たれましたか?
監督:彼とはかなり蜜にコラボレーションして脚本を書いた。この映画が初めてプレミア上映された時、観客の前で舞台挨拶に立ち、若者がもつ力、強さ、美しさについて語っていた。長患いし、すでに死期が迫っていた(※)けど、彼は教師だったから若い力を信じていたし、疑問を持つ力、乗り越える力、若いからこそ出来ることについて語ることが生きる上での目的だったんだと思う。だからこそこの物語を書いたのだと思う。本当に胸打たれる姿だった。劇中の事件によって彼は人生の道が決まってしまったわけで、彼のアイデンティティを形作ったのが、この経験だったと思う。ソ連兵に追いかけられる悪夢を度々見るとも言っていた。
(※ディートリッヒ・ガルスカ氏は映画祭の2ヶ月後、2018年4月に死去)
『僕たちは希望という名の列車に乗った』
──若者たちの決断は、結果的には良い方向にいったけれど、もとを辿ればフェイクニュースに翻弄されたことにより人生の決断を余儀なくされたのだと思います。昨今も相変わらずフェイクニュースが問題になっていますが…。
監督:その通りで、当時のプロパガンダというものが、現代で言うフェイクニュースなんだと思う。昔も今も何が真実なのか見極めるのは難しい。政治的な立場によって見える画が違ってくるからね。だからこそ、ビンラディンでさえ「自由の闘士」という人もいれば「テロリスト」という人もいる。

今回のキャストは若いメンバーで、“50年代のドイツ”と言われても実感が湧かないだろうと思い、いつもシリアを引き合いに出していたんだ。シリアの紛争では、アメリカ、ロシア、シリア、トルコ、それぞれのニュースの情報源によってアジェンダがあり、それぞれを聞いてイメージする“シリアの紛争”が全然違って見えてくる。劇中の生徒たちが感じていたのは、まさに同じ状況だと思う。彼らが聞いたハンガリー蜂起は真実の一端に過ぎないわけで、動乱の中で起こった民衆の暴力的な行為もまた事実。現代はインターネットで様々なメディアにアクセス出来るが、そんな時代においても真実を見極めるのが難しいというのは変わっていない。だからこそ、何らかの形で真実が何なのか、それぞれが見つけていかなければならない。

また、自分の人生に翻って考えることも重要だと思う。劇中の若者たちも、ハンガリー蜂起は自分たちの日常と関係がないけれど、学校の中で言論・表現の自由がないことを実感した。僕自身は、アメリカでトランプ大統領が何を言おうが直接的には関係ないけど、自分の国で極右政党が台頭してくると、問題と捉えることができる。自分の周りに置き換えたとき、何が真実なのか見極めていかければならないと思う。

2019年5月16日
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『僕たちは希望という名の列車に乗った』
2019年5月17日(金)Bunkamuraル・シネマ、ヒューマントラストシネマ有楽町他全国公開
公式サイト:http://bokutachi-kibou-movie.com