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誰もが何らかの理由で許してしまった末に起きた事 ──『ちいさな独裁者』ロベルト・シュヴェンケ監督インタビュー

ちいさな独裁者

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映画『RED/レッド』や『きみがぼくを見つけた日』で知られるロベルト・シュヴェンケ監督の最新作『ちいさな独裁者』が、2月8日(金)より公開。本作は、第二次世界大戦末期、敗色濃厚なドイツを舞台に、偶然にナチス将校の威光を手に入れた若者が、言葉巧みな嘘によって“親衛隊”を率い、やがておそましい大量殺人へと暴走した、衝撃の実話をもとにしたサスペンス映画。独裁者はいかにして作られていくのか?映画の公開を前に来日したロベルト・シュヴェンケ監督に直撃しました。
──これまでハリウッドで活躍されていましたが、今作はドイツに戻り、ドイツ語圏の俳優でドイツの歴史を撮りました。テーマを先に決めてドイツで撮ったのですか?その逆でしょうか。
監督:きっかけは物語です。だから、ドイツの製作でドイツ語で撮らなければならないのは明白でした。
──物語のどんなところに惹かれたのですか?
監督:この物語には、人間が持ち合わせている本質が反映されていると思う。つまり、人間というのは暴力や不正、不公平なことを他者に対して行うことが出来てしまうが、それが何故なのか分からない。そういった部分を模索できるテーマだと思った。もうひとつ、国家社会主義の力学にも興味があった。国家社会主義は、末端の人たちも政策を推し進めていく構造になっているが、現代のドイツには、「悪いのはイデオロギーに突き動かされて動いていたトップの人であって、末端の人々はイノセントな存在であり、罪はない。」という神話がある。でもそれは本当のことではない。だから、構造の末端にいる人々がどうだったのか、掘り下げてみたいと思ったんだ。

この虐殺は、関わった全ての人がそれを許してしまったから起きたこと。いつでも誰かが止めることは可能だったのに、誰もが何らかの理由で許してしまった。あるいはそれを求めた結果だ。言い換えれば、誰もがそれを止める力、責任があるということ。一人ひとりの勇気についても描いているんだ。
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──ドイツの人々はこの映画をどのように見ていますか?
監督:ドイツではこういったタイプの映画が作られていなかったから、すごく好評を得た。ドイツの第二次大戦ものは、あまり質が良くなくて、コスプレというか時代ものという捉えられ方をしているものが多く、過去と現在の関係性まで見据えて作られていないと思う。この映画はそういった部分が受け入れられたんだと思う。史実を描いたものにしては、娯楽性があったのも受け入れられた理由かな。
──主人公はナチス高官ではなく、ただの一兵卒。戦争中の数ある犯罪のなかのひとつで、資料や証言も多くはなかったと思いますが、どのようにキャラクター作りをしていったのですか?
監督:終戦までの2週間は、ドイツ及び周辺国は何でもありの状態に突入してしまったので、色んな事件が起こったのだろうけど、あまり資料が残っていないんだ。でも彼の場合、最終的に捕らえられ裁判を受けるが、その法廷記録が残っていて、今回はそれをほぼ全部使っているんだ。言葉もほとんど変えていない。そういう意味ではかなり真実に則した内容になっている。

ただ、法廷記録なので、彼が証言した言葉が元になっているが、彼自身が真実を語っているかどうかは誰にも分からない。彼は詐欺師で嘘つきだから、信用ならないナレーターだよね(笑)。例えば、車にあった軍服を見つけたと言っているが、そう都合良くそこにあるわけがない。生き延びなければならないという思いが彼をそうさせたんだろうけど、法廷では自分の罪がこれ以上重くならないように、そう証言したんだろうね。彼一人のシーンは彼自身の証言がベースになっているが、他人とのやりとりは、その証言があったし、当時は書くことが禁じられていた日記のようなメモのような記録物や、送られることのなかった手紙が残っていた。だから、例えば収容所のシーンは実際に起きたことに近いと思う。
──ちなみにドイツでは、語り継がれているような有名な人なんですか?
監督:知られていない。この事件は北部のほうで起きたもので、地元の人々は知っているかもしれないが、全国的に認知されているものではないんだ。そこが面白いと思った。彼を主人公として選んだ理由は、先程言ったように国家社会主義の構造に興味があったからだ。将軍から一兵卒までの視点でこの出来事を見ることが出来る。今まで語られることがなかった戦争の一つの側面。そういう意味でも、ドイツ人にとっては新鮮な第二次大戦ものだったんだと思う。それに、自分ではとても思いつかないようなストーリーだ。ボクシングマッチのように戦いながら物語を作っていける存在が必要だった。それがこの映画だ。
──人間の弱さや愚かさというメッセージは伝わってきましたが、映画全体を通して、あまり説教臭さがありませんでした。
監督:今日の我々が持つ価値観はさておき、彼ら自身の心に入っていくかたちでアプローチした。人間は元来、自分が何か酷いことをしても、自分の中で正当化出来てしまう生き物だよね。この映画は、自分の道徳的ポジションを言語化しているシーンはないんだ。ドイツの観客はそれに慣れていないのか、戸惑う人も一定数いた。最近の観客は残念ながら、映画のキャラクターが「こういう見方をして欲しい」と、どこかで台詞として言っているのに慣れてしまっているんだね。僕は、そういった映画作りは観客を見くびったものだと思う。観客は聡明で、僕が説明しなくても理解してくれると信じているんだ。言葉にしていなくても、映画のトーンを通して感じ取ってもらえると思っている。

サスペンススリラー的な要素も、説教臭くない理由の一つかな。ヘロルトは最初のほうで生死をかけた道のりを歩んでいるわけで、観客としては彼を応援しないわけにはいかない。彼を好ましく思うかは別として、物語の中で彼が危機をうまく切り抜けると、観客はホッとしてしまう。これもちょっと珍しいキャラクターだよね。あの時代がどういう時代だったのか、外側から内側を覗くのではなく内側から語り、観察して学ぶ対象ではなく、体感できるような映画にしたかった。

最近の映画は、映画館を出たらすぐに忘れてしまうような作品が多いと思う。かつてあった映画的な体験を味わえないんだ。アメリカのスタジオでの映画作りの問題点は、作品をフリーサイズで作り、全員が見てはまるものを繰り返し作っているところ。本来の映画は、観客との対話であるべきなのに、映画のほうがそうさせてくれない。僕はアメリカのスタジオを知らないわけじゃないから、批判しても許されるよね(笑)。

この映画は、映画的体験を作り上げたという自負があるし、映画館を出たら忘れてしまうような映画ではない。作品の世界が記憶に残り、それぞれが観て感じて意見を持ち、それが会話に繋がればいいと思う。つまらないお説教型の歴史ものにはなってないし、間違いなく楽しんでもらうために作ったという気持ちも伝わると思う。
2019年2月8日
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『ちいさな独裁者』
2019年2月8日(金)ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、YEBISU GARDEN CINEMAほか全国公開
公式サイト:http://dokusaisha-movie.jp/