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観客の想像力でフジタが立体化する── オダギリジョー&中谷美紀『FOUJITA』インタビュー

FOUJITA

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『死の棘』で第43回カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリ&国際批評家連盟賞をダブル受賞、『泥の河』など海外でも評価の高い小栗康平監督の最新作『FOUJITA』が、11月14日(土)より公開。本作は、1920年代のフランスで、“乳白色の肌”と称された裸婦像でエコール・ド・パリの寵児となり、第二次大世界大戦中の日本では「アッツ島玉砕」をはじめとして数多くの“戦争画”を描いた日本人画家・藤田嗣治の半生を描いたドラマ。1920年代と1940年代のフジタを演じ分けた主演のオダギリジョーと、その妻・君代役を演じた中谷美紀にインタビュー。小栗監督作品で感じた映画の魅力を伺いました。
観客の想像力でフジタが立体化する── オダギリジョー&中谷美紀『FOUJITA』インタビュー
──お二人ともこれまでも色んな作品に出演されて、共演作もありますが、夫婦役として共演されたのは初めてですね。これまでのお互いの印象や、共演してみて思った意外な発見などありましたか?
オダギリ:中谷さんは同い年なんですけど、僕はデビューが遅かったので、視聴者として普通に観ていたほうで、同い年でありつつ先輩という意識もあるんです。ただ、同い年ゆえに、役者としてはどこかライバル的な視点でも見てしまうんですけど、いい仕事を沢山されていて、いつかご一緒したいと思っていました。俳優のタイプとして似たものを感じるというか、大きく変わらない気がしていて、共演作はあるけど、今までちゃんと芝居を交わした事がないのは不思議に感じていました。
中谷:最近では『渇き』(中島哲也監督)と『リアル~完全なる首長竜の日~ 』(黒沢清監督)でしたね。
オダギリ:両作品ともやはり一緒のシーンは無いですもんね。だから今回ご一緒出来ることが嬉しかったし、このために今まで待っていたのかなって気もしました。実際に会ってお話してみると…、怖い…というのか(笑)
中谷:あれ??どういう意味でしょう(笑)
オダギリ:いや、褒めてるんです(笑)。ものすごく頭の回転が速くて、物事を客観的に見て的確に判断されていて、冷静なんです。そして少し毒気もある(笑)
中谷:(笑)毒気?
オダギリ:あんまり表に出ていない毒だと思うんですけど、すごく真面目でちゃんとしていながら、時々、内側にある毒気が出るというか(笑)。いや、褒め言葉ですよこれ! 俳優ってそういうのがないと、表現者としてつまらないじゃないですか。今回は、そういう部分が見れて、意外でもあったし「中谷美紀」という役者の面白さはそういうところにもあるんだなと思いました。
中谷:自分自身のことはよく分かりませんが(笑)。オダギリさんは、無駄な抵抗をしないというか、どうしたらこんなに力が抜けるんだろうって(笑)。是非、学ばせていただきたいです(笑)。あまり取り繕ったりしないですよね。
オダギリ:取り繕うのが面倒というか、自分以上に大きく見せようとは思ってないんですよね。
中谷:そこがニュートラルになれるところなんでしょうね。観る側からすると役者のエゴが感じられないから、気持ちよく芝居を受け取れるとういうか。でも実はそこが一番難しいんですよね。オダギリさんはそれを難なくなさるので、本当に羨ましいと思ってます。
──撮影中はお二人でどんな風に過ごしていたのですか?
中谷:実は、一緒のシーンは沢山あるわけではないんですが、よく休憩時間に寝ていらっしゃいました(笑)。ある日は二日酔いで調子悪そうでしたが、フジタのテンションにちょうど良かったと思います。
オダギリ:フランスでの撮影の時に、中谷さんから差し入れを頂いたんです。その時はパリでアパート暮らしだったんですけど、やはり日本食が恋しくなるじゃないですか。ダシが恋しいと思っていたところに、スッポンの煮こごりを差し入れて頂いて、本当に嬉しかったですね。周りに対する普段からの心遣いがすごいんですけど、スッポンというのが、「頑張って」という心遣いが感じられて、嬉しかったですね(笑)。
──中谷さんは、パリの撮影現場にも参加されたのですか?
中谷:ちょうど別の作品でフランスを訪れていたので、現場に少しお邪魔しました。キキがカフェで歌を歌っているシーンですね。偶然にも、キキを演じられた女優さんが、私の親友の従姉妹だったんです。現場で「オダギリさんは元気にしていますか」って尋ねたら、みなさん「ジョーは“magnifique!”(すごい!) “très beau”(ハンサム)」と言っていましたよ。
──オダギリさんは、パリと日本、時代も場所も全然違う風景の中で演じましたが、フジタをどういう人間だと思い、役作りではどんな準備をされましたか?
オダギリ:いやぁ、役作りなんて大袈裟な事は何もないですよ(笑)。というのも最初に監督から「フジタのことは勉強しないで欲しい」と言われて、真に受けて本当に勉強しなかったんです(笑)。とはいえ、ちょっと心配だから一応調べたりしながら……でも最終的には出来るだけそれを忘れて現場に入りました。現場に入ってみないとわからないこともあるし、特に小栗監督の場合は、フジタのモノマネをする事よりも、もっと感覚的な、生きたフジタの五感を表現して欲しい、と言うような事に近かったんです。監督は、この映画を伝記ものにしたくないと仰っていて、よくあるフジタの歴史の説明ではなく、この映画だから描く事のできるフジタ像を作りたいという想いがあって、僕もその新しい主旨、監督のオリジナリティを持ったフジタを共作する為に参加したつもりなんです。だから、結局のところ、フジタをしっかりと理解して間違いなく演じるというよりは、あの時代のパリで奮闘していた1人の日本人画家がもし自分だったら、という感覚で演じていました。

ただ現実的に、画を描いたりフランス語を喋るという、乗り越えなくてはいけない課題があったので、その練習をしたくらいですね。あとは、パリと日本という、雰囲気が違う二つの世界なので、自分が置かれた状況にいかに順応できるか、そこでどんな感覚を持って存在するのかが一番大切でした。芝居の大きな部分は、自然や環境が助けてくれましたね。
──オカッパにメガネという風貌はそっくりでした。
オダギリ:監督は、特別フジタに似せる必要はないと仰っていたんですが、フジタと言えばあのスタイルじゃないですか。あのインパクトは重要な気もしたので、自分で用意して一度見てもらったんです。そうしたら想像以上に似ていたので(笑)、監督も気に入ってくれ採用される事になりました。
──中谷さんは、フジタの妻として添い遂げる女性・君代について、どういう気持ちでアプローチしましたか?
中谷:君代さんがどういう人物かわからなかったんですが、オダギリさんがフジタでいてくださったので、その美意識の一端を担いたいという思いはありました。フジタはフジタの世界があり、アトリエには君代さんさえ入れなかったという話もあるくらいなので、どこか立ち入ってはいけない境界線もある。でも二人の関係は、君代さんがフジタを手のひらで転がそうとして逆に転がされていたり、わがままも言って振り回したかと思えばフジタの手中にはまっているようにも見えて、なんとも言えない関係だと思いました。

役作りという意味では特に準備はしていなかったんですが、フジタが晩年過ごした、パリ郊外のランスに行って、彼が集大成として手掛けたフレスコ画があるノートル=ダム・ド・ラ・ペを訪れました。
──フジタの画からどんな印象をうけましたか?中谷さんはフランス文化にも造詣が深いと思いますが、フジタは当時、なぜあんなにもパリで受け入れられたと思いますか?
中谷:この作品に携わるにあたって、フジタの作品を訪ねて歩いて感じたのは、面相筆を使っていたり、単なる西洋かぶれではなくて、フジタにしか描けない、日本人だからこそもたらされた発想が含まれているのだと思いました。ずっと根無し草のように彷徨って彷徨って、帰る場所もなかったけど、どこか故郷と繋がっていたいという想いみたいなものも感じられました。

絵画の技術的なところは私にはわからないのですが、フジタの絵画の技術は高く評価されていますし、フランスの方は歴史を重んじつつ新しいものが好きなので、当時、東洋から来たおかしなオカッパ頭の男が描く画が珍しかったのかもしれません。動物を擬人化した作風は、高山寺の鳥獣戯画から着想を得たのではないかと勝手に考察しています。また、乳白色の肌は、ひょっとしたら東洋人だからこそ、西洋人の肌が際立って見えて、その心象風景みたいなものをどう表現するのか追求し、そういうところにフランス人は興味を持ったのかもしれませんね。本当のところはわかりませんが…。
──小栗監督のこれまでの作品に対する印象と、今回、参加されての感想をお聞かせください。
オダギリ:淡々とした静寂の中にファンタジーが見え隠れするような、そんな印象を持っていました。実際に監督とお会いして話を伺うと、映画に対する哲学や視点が独特で、大変刺激を受けました。映画を、ただのエンターテイメントやストーリーの説明とは捉えず、もっと広く深い表現を求めている方だと思いました。こういう方がまさに映画を撮るべき人なんだと感じましたね。

俳優というものは、時に自分が前に出過ぎる傾向があるんです。エゴというのか、自意識というのか。芝居をすればする程、楽しく喜びのように勘違いしてしまうんですね。それこそ、ストーリーの説明にも一生懸命になってしまいます。しかし小栗監督の映画の中にはそういう俳優のエゴは必要とされません。それを抑える事から始めたように思います。抑制する事で他の要素を際立たせる事にもなり、結果、小栗監督の作品には、台詞の余白部分にも、観客に掬い取ってもらいたいものが詰まっていると思うんです。そういった深みのある表現を、とても誠意を持って追求されている監督で、そこにこの身を預けて作品に携われたのはとてもいい経験でした。余計な垢を落としてくれるというか。そういう経験が出来たと思います。
中谷:小栗監督の作品は、『泥の河』『死の棘』の2本が鮮明に残っていて、映画史上にも刻まれる名作だと思うのですが、そんな監督とお仕事が出来るということは本当に幸せでした。お芝居では、監督が仰ることを表現する……、むしろ表現しないことを求められるんですけど、それが非常に難しくて、監督の思い描いているところに辿り着くのに時間がかかりました。オダギリさんはそれをサラリとやってのけていて(笑)、本当に楽にフジタとして映画の中に立っている印象を受けました。私はどこかで抵抗してしまって、すごく時間がかかったんですが、きっとそういう無駄なものを廃した、奥の部分のことを監督は仰っているのだと思って、何とか近づくようにしましたが、難しかったです。
──小栗監督は、本作を「伝記映画ではない」と仰っていました。実際に、フジタがどんな人物で何を考えていたのか、この映画では語られません。お二人の言葉で言うと、何が描かれた映画だと言えますか?
観客の想像力でフジタが立体化する── オダギリジョー&中谷美紀『FOUJITA』インタビュー
中谷:説明するのが難しいタイプの映画だと思うのですが、この映画を観て本当に素晴らしいと思ったのは、芸術至上主義がまだ許されるんだな…ということです。観客の想像力、日本人のインテリジェンスを監督が信じている。そこに感銘を受けました。判りやすさが優先される現状では難しい中、小栗監督は孤軍奮闘していらっしゃるんだと思います。本当はもっとストーリーもありましたし、オダギリさんが演じた晩年の白髪のフジタもそっくりだったんですが、それもあえて廃したんです。もともと日本人に備わっている、行間を察する力を信じていらっしゃるのだと思います。
オダギリ:今、本当に分かりやすい映画、何も考えなくていい映画が多いですよね。はじめから「泣けます!笑えます!楽しいです!」っていう分かりやすい答えを提示されていて、読み取ったり想像したりする楽しみが少ない。それが今の日本映画をちょっと残念な方向に引っ張っている気がします。俳優として映画に関わっていて、その現状を残念だと思うんですけど、一方で観客も残念に思っているはずなんです。単純な作品を目の当たりにして、全ての人が喜んでいるとは思えないんですね。

この映画は、フジタについて教えて欲しいという方が観に行ったところで、求める答えが出てくる映画ではないかもしれません。一人の人間の一つの側面だけを映画で描くべきではないと思うし、色んな側面を想像できて初めてその人物が立体化していくと思うんです。だから、フジタを捉えるというよりは、共に“豊かな時間を過ごす”感覚のほうが近い気がします。僕自身がこの映画を観てそう感じました。考えさせられたし、ゾクゾクする感覚も味わえたし、現代で忘れている何か…文化的な豊かさだったり、お金や時間で計ることのできない余裕のようなもの、そういった部分も感じてもらえたら嬉しいです。
2015年11月16日
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『FOUJITA』
2015年11月14日(土)角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国ロードショー