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この国が未来に向かっていくためのビタミン剤 ─『日輪の遺産』佐々部清監督インタビュー

日輪の遺産

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作家・浅田次郎の原作を、堺雅人主演で映画化した『日輪の遺産』。終戦間際の日本を舞台に、軍の密命を帯びた3人の軍人と、そこに勤労動員された20人の少女の運命を描いた本作には、敗戦後の祖国の復興を願った人々の、勇気と希望のメッセージが込められている。メガホンをとったのは、『夕凪の街 桜の国』『出口のない海』の佐々部清監督。奇しくも東日本大震災を経て復興のスタート地点に立った今、公開を迎える本作について、佐々部監督にその思いを直撃しました。
この国が未来に向かっていくためのビタミン剤 ─『日輪の遺産』佐々部清監督インタビュー
──『日輪の遺産』映画化のいきさつについて教えてください。
『日輪の遺産』
監督:今回はプロデューサーからオファーを頂きました。僕自身は浅田次郎先生の大ファンだったんですけど、この原作は読んでいませんでした。正直、「また難しいのが来たな…」と思ったんですけど(笑)、難しいからこそやりがいがあるし、「浅田先生の本ならば!」と思いました。映画監督になった時から、浅田先生の原作を映画化するのが夢だったんです。
──具体的にどの作品を映画化したかったのですか?
監督:「地下鉄(メトロ)に乗って」でした。でもこれは篠原(哲雄)君という大学の後輩にやられました(笑)。『日輪の遺産』が僕の10作目になったのは偶然ですが、映画の神様がそうしてくれたんだと思っています。
──企画から4年かけて完成した作品ですが、原作と比べて、映画では過去に焦点を絞っていますね。
『日輪の遺産』
監督:最初の脚本は1年ぐらいで出来たんですけど、現在と過去が同じ分量ある3時間のものでした。僕はどうしても、戦争の部分だけを描くのは抵抗があって、『夕凪の街 桜の国』の時も、"桜の国"があるからこそ撮りました。でも、さすがに3時間ではお金がかかるし、エンターテイメントとしてはやはり長すぎるということで、予算と合うように現代編を削っていく作業に時間がかかりました。
──脚本作りの間に、浅田先生からは何かアドバイスは?
監督:浅田先生は基本的に「映画と小説は別モノだから、映画としてやりたいことをやればいい」と仰る方です。僕が『鉄道員(ぽっぽや)』の助監督をやった時もそうでした。ただ、最初の脚本が出来た時、浅田先生とお会いして2時間ぐらいお茶を飲みながら話したんですけど、マッカーサーのことをよく喋るんです(笑)。“マッカーサーおたく”かな?と思うくらいに熱を帯びて楽しそうに話していました(笑)。本当は、マッカーサーを外すとお金がかからない…と思っていたんですけど、厚木に着くマッカーサーを入れないと、浅田先生に申し訳ないと思いました(笑)。もちろん、浅田先生が「(マッカーサーを)絶対に入れて」と言ったのではないんですけどね(笑)。
──プレス資料によると、浅田先生自身は、「『地下鉄(メトロ)に乗って』と『日輪の遺産』は兄弟」であり、前者は「個の人生の恢復」、後者は「日本の恢復」であると仰っていますが、この辺もかなり意識されましたか?
監督:意識しましたね。おそらく女性が観ると、少女たち、特に久枝に目線がいくと思いますが、最初に脚本作りでお願いしたのが、「"ひめゆりの塔"にはしたくない」というものでした。少女たちの悲劇の物語を軸に、女性客を泣かせる映画作りは簡単だけど、そういう後味の映画にはしたくなかったんです。

原作には、1カ所だけ「国生みの伝説」というフレーズがあり、その6文字に傍点が振られていました。おそらくタイトルの"遺産"には、"マッカーサーの遺産"も当然かかっているけど、"心の遺産"であって、国が生まれるということが"日輪の遺産"に繋がる、だからこそ「国生みの伝説」の映画を作りたいと思いました。映画は昨年の夏に完成していて、当時は、リーマンショックで日本の経済が疲弊した時に、「もう一度頑張ろうよ」っていう映画にしたいと思っていましたが、まさかあの震災が起きるなんて夢にも思っていませんでした。「いつかこの国が生まれ変わるために」というコピーは後付けではあるけど、震災が起きた今だからこそ、この映画はあるべき映画だと、今まで映画を作ってきて、ちょっと誇れる映画だと思いました。
──キャスティングについて伺いますが、3人の軍人(堺雅人さん、福士誠二さん、中村獅童さん)の決め手は?
『日輪の遺産』 『日輪の遺産』
監督:企画から4年もあると、色んな人がパズルのように組み合わさっていきました。僕がずっとこだわったのは、福士君です。8年前に僕の作品『チルソクの夏』でデビューしたんですけど、あいつ(福士)、どんどんスターになっていって(笑)。いつかもう一度一緒にやりたいと思っていましたが、素晴らしかったですね。マッカーサーと対峙するという、彼にとっての見せ場を作りましたが、感動しました。

ほかに、福士が小泉中尉なら、望月曹長は主役を張れるぐらいの人として、舞台「黒部の太陽」を一緒にやった獅童君にお願いしました。八千草さんも、リアルでこの時代を生きていた人としてこだわりました。堺君は初めてでしたが、彼の柔らかい表情を活かして、揺れ動く真柴にすれば堺君にハマるだろうと思いました。
──配役に合わせて人物描写もまた変わっていったんですね。
『日輪の遺産』 『日輪の遺産』
監督:もちろんです。野口先生をユースケ君に…って言われたときは、僕がバラエティでしか知らないユースケ・サンタマリアを、どうやって運ぼうか悩んだんですけど、本読みとリハーサルをやっていく中で、野口先生のキャラクターを作っていきました。

軍人役については、当時の日本軍がどんな喋り方で、どんな歩き方をしていたのか、『男たちの大和』や『連合艦隊』といった映画で見た軍人しか知らないわけですが、それを模倣するのはやめようと最初に話しました。獅童君は、毎年夏になると軍服姿を必ず見るというほど軍人役が板についてますよね。でも、『硫黄島からの手紙』のように強くデフォルメされた軍人ではなく、今回はしつこいくらいに抑えてもらいました。本人も戸惑っていましたが、堺君と福士君とのバランスを考えて演じてもらったんです。一番伸び伸びとやっていたのは福士君ですね(笑)。
──久枝の少女時代を演じた森迫永依さんは、画面に出てくるだけでグッとくる表情をしていました。演出していていかがでしたか?
『日輪の遺産』
監督:何にも演出していないんです。だからあの子にしたんです。脚本を作っている間に、「久枝役には森迫で。絶対にスケジュールを抑えておいてくれ」と、お願いしました。彼女は、一昨年NHKで「少女たちの日記帳 ヒロシマ 昭和20年4月6日~8月6日」を観て、この子なら絶対大丈夫と思っていました。テストを観ていても、大竹しのぶの再来かと思うほど凄かったですね。「天才」と言ったらこの子のことです。
──陸軍の大臣室のシーンでは麿赤兒(第一総軍司令官・杉山元役)さんの存在感が際立っていました。麿さんはどんな方ですか?
監督:妖怪ですね(笑)。日本軍という当時の妖怪をあのワンシーンで表現するのに、2人(堺と福士)の若者の前に麿さんのキャラクターがいたら、それだけで凄いインパクトですよね。すごい顔でしょ(笑)。人の顔じゃない、妖怪ですよ(笑)。眼光、皺、スキンヘッド…短いシーンで凄いインパクトを出してくれました。
──(※結末・ネタバレも含みます)
最後の祠のシーンは、感動的でしたが、一歩間違えると引いてしまうかもしれないという、冒険でもあったと思います。演出の面で気をつけたのは?
監督:仰るとおりで、原作も脚本も、少女たちがあんなにきれいに整列するとは考えてなかったかもしれない。でも、僕はちゃんと並んで、久枝(八千草)に「ありがとう」を言わせたかったんです。そして麻生(久美子)君と塩谷(瞬)君、そして観客にもはっきりと見せ、そのことがまさに「遺産」で、「私たちが覚えていればいい」のだと伝えたかった。

どん引きしないための演出は、編集から何から苦労しました。もうフィルムがないと言われるほど、伸ばして伸ばしてあの長さになった。あのシーンがないと、「ひめゆりの塔」になってしまうからです。子供たちが全員笑顔で、野口先生のひと言で久枝が救われる、そうじゃないと悲劇の映画で終わり、未来に繋がらない気がしたんです。
──最後に、これからご覧になる観客のみなさんにメッセージをお願いします。
監督:3年ぶりに、自分にとって10本目の集大成となる映画が出来ました。作っている時は、まさか震災や原発事故が起こるなんて思ってもいませんでしたが、起こってしまった今だからこそ、この映画があってよかったと思います。こんなことを言うと、震災で闘っている人たちには申し訳ないかもしれないけど、日本という国が一つにまとまって、未来に向かっていくための、ちょっとしたビタミン剤になる映画だと思います。何をすべきか、考えるべきか、難しいことじゃないけど、そんなことを心に留め、感じてもらえたらと思います。是非、大きいスクリーンで観てください。
2011年8月24日
『日輪の遺産』
2011年8月27日(土)、角川シネマ有楽町ほか全国ロードショー
公式サイト:http://www.nichirin-movie.jp/